あたまがいっぱい

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世界中のケアマネは「バードマン」を見るべき

最近「分かりにくい」とか「回りくどい」と言われる。

「最近」という言い回しに疑問を感じつつ、分かりやすい表現に努めようとググったところ、分かりやすい人は結論から物事を言うらしい。
なるほど、結論から書くことを最近していなかったなぁ、あぁ何てコミュニケーションとは難しいものなんだろうか、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押し潰すのだ、エゴだよそれは、などと思いつつ結論に全く達していないわけだが、それもそのはず『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』こそまさにそんな映画だからなのだ。
この映画が結論に達しないという意味では無い。
結論に達しない回りくどい文章について説明するには、結論に達しない回りくどい文章を提示することで、結果的にわかりやすく、効率的に結果に辿り着くことが出来るかもしれないのだ!
 
この時点で我ながら素晴らしく結論に達しない文章を書けていると思う。
すごいイイ感じだ。
 
話をバードマンに移そう。
 
「演じる」とは何なのか?
 
それを説明するには「演じる」ことを正確に「演じる」ことで、より分かりやすく「演じる」ことを聴衆に伝える事が出来るのじゃなからんべ?
 
先ずはこのアプローチにがベースにある。
しかしそれだけでは今流行りの「メタ視点」でしかない。この映画が素晴らしいのは、更にその先を描いて見せたことにある。
 
あえて言うならば「人間は人間関係や社会的役割を演じることで肉体の限界や精神の限界(嫌いな表現だが「殻」とも言う…)を超えて文字通り『空を飛ぶ』ことだって可能なのだ」ということだ。
 
文字に起こすとすごい恥ずかしい感じがするが、演じることが、というか表現自体が、正にブロードウェイをパンツ一枚で歩くようなものだと思えばより溜飲も下がるということじゃあなかろうか。
 
映画の評はこの程度で終えるとして、問題は「ケアマネ」の部分である。
 
総じて高齢者の介護では当事者含め家族も介護士も皆やる気が無い。
近い内に死ぬ上に死ぬほど年金と給料が安いからだ。不幸にも死ぬまでは生きなくてはならないので是非やる気になってもらいたいものだ。
 
やる気にさせるにはどうすれば良いか?
そこに「演じる」余地が入るのだ。
 
ケアプランは正に脚本である。
それぞれの役名とやる事が書いてある。
 
後は演じるだけだ。
 
しかし脚本がつまらなかったら誰がやる気になるのだろうか?
 
脚本はドラマチックで、面白くって、面白い方がいいに決まってるのだ!
 
ケアプランをプレゼンシートとして書いていた時期が僕にもありました。
 
でもプレゼンシートが面白いか?
いや、もし仮にむしろむっちゃくちゃ面白いプレゼンシートがあったとしたら、もうそれはプレゼンシートではなくむちゃくちゃ面白い何かだ。
 
人間、介護に関わらず、困難の中にいると状況に踊らされてしまい素の自分になりがちだ。急激な変化に対してあえて自分を変えない事でストレスを回避するのは、基本的な防衛機制であるとも言える。
 
しかし環境に順応していくには自分を変化させていくしかないのだ。
 
どうやって変えるか。
 
指南書を読んで勉強するだけでは難しい、先ずはやる気になり実践しなくてはならないのだ。
 
冒険心を掻き立てるアドベンチャーか、哀愁漂うメロドラマか、やる気になるポイントは人それぞれだが、世界中のケアマネには是非面白い脚本(プラン)を書いてもらいたいものだ。
 
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