あたまがいっぱい

猫舌と胃腸虚弱は遺伝のせいなのか

好きなことで生きていく

好きなことで生きて行くのは何かと理想とされがちである。

もてラジでもさんざん語られてきた話題だ。
 
先ずダイエットでは従来の我慢するダイエットを丸太のような足で一蹴し、好きのことを主軸にした生活の結果にダイエットや運動があるという真理を解明した。
 
人間関係では費用対効果による計算高い恋愛や、家庭を維持するという目的化された男女関係を否定、友人やリスナーとの関係においても自己抑圧による関係の維持をバッサリと切り捨てた。
 
しかし世の中にはもう一つの意見もある。
それは、苦労や我慢など辛い出来事を通して人間は成長するという理論だ。
「世の中には2種類の苦痛がある、意味のない苦痛と自分を育てる苦痛だ」
ドラマ『ハウス・オブ・カード』で主人公が言うセリフだ。
言い換えれば、楽しいことばかりしていないでやりたくない辛いことも積極的にやるべきだというアイディアである。
 
この2つの議論は相容れない対立する思想として語られがちだが、もてラジでは二者の矛盾に次のように答えている。
かりんとうをウンコだと思い込むな」
つまり嫌いなものを好きなものとして、自分を騙すのを辞めろということだ。
嫌なものを嫌なものとして認識したうえで決断を下せということだろうと僕は理解した。
僕の認識が正しいと仮定して、別の視点からこの問題を見てみよう。
ラジオではてっちゃぎ氏が友人関係において決断したことを「誰にでもできることじゃない」と評した。
心を動かす云々以前に、これはいい得て妙だと僕は感じている。
なぜか、それは「かりんとうをウンコだと自分に思い込ませて生きてきた人」にとって、その概念の誤りを認めることは非常に大きな精神的負担を伴うからだ。
これがウンコでなくて人間関係や仕事だと更に問題は複雑だ。嫌な人間関係でも、嫌な仕事でも今の自分の社会性や経済を支えている基板を捨て去るのは文字通り誰にでもできることではない、もちろん嫌なことを嫌と思って生きることもだ。
 
過去の自分を否定することで、その行動を正していこうというのは別に悪くはない手法だ、しかし全員が全員自分の過去を否定して人生の方向を修正するほど精神的に、金銭的に恵まれているとは思わない。トライアンドエラーとはあくまでもエラーできる余裕のある人の論理なのだ。
 
どうしようもない現状の中で、現状維持に甘んじるわけでもなく、全てをぶち壊してしまうわけでもなく、少しづつ確実に自分と自分の周囲の環境を変えていく方法があるのではないか?
これが僕の人生の当面のテーマである。
 
ソーシャルワークという言葉がある。初めて聞く人は是非覚えて返ってもらいたい。
僕は現在、社会福祉士という国家資格の勉強をしているのだが、これを取りたい理由は、ソーシャルワークがこの疑問を解く有効なツールだと考えているからだ。
恐らくソーシャルワークググる社会福祉士が出てきて、更にググるとその説明として、社会福祉士が出てくると思うのだが、チラッと見た感じでは福祉のプロ的なことがグダグダと分かり辛く書かれているので、それは忘れてこっちの方が正しいと理解してもらいたい。 
 
つまり「抗い難い現実を楽しみつつ、過ちを繰り返すこと無く、自分の将来を肯定的に捉えて生活が出来るように、あらゆる手段を用いてこれを実現すること」である。
 
こう書いてしまうと、これは人生そのものの行動原理であるかのように見える。
おそらく実際そうだと思う。
そんなのは個人が勝手に考えることだと思う人もいるだろう。
たぶん世の中の僕みたいな左よりの人間は、「無縁社会が~」「孤立化が~」などと言って説明するだろうが僕はそんな面倒な話はしたくない。
 
なぜって、結局皆幸せになりたいだけなのだ。
そのためには何でも利用する。しかしお金も、権力もなくてどうしたらいいんだ?!
心配ゴム用、その方法をタコの卵ウルトラテイスティングクラブin東京で一緒に探してみないか!?
応援することでとてつもないパワーが湧いてくるのだッ!