あたまがいっぱい

猫舌と胃腸虚弱は遺伝のせいなのか

介護へのロボット導入は壮大なステマ

大きな災害が起きる度にテレビ等で大々的に言われるのがロボットの導入だ。

東京マグニチュード8.0』というアニメがあったが、ここでものっけからロボット推しが激しい。

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ロボット産業を発展させ不景気を打破しようという発想自体に問題があるとは思わないが、こうも見え透いたステマが多いとウンザリしてしまう。
特に利便性ばかりを強調して、実際に職場においての運営を一切紹介しないその姿勢には強い疑問が残るのだ。
ロボットだって掃除機や洗濯機と同様に機械であり、メンテナンスが必要なものだ。定期的なメンテナンスが必要だし、壊れた時のバックアップやトラブルシューティングも予め用意しておかねばならない。
そこまで考えると、今までの生活に単純にロボットが追加されただけでは事は済まない。
ロボットに付随する膨大な業務、コストがどれだけになるのか、現場の業務をしっかりと分析した上で導入を行わなければ不要な混乱を生むだけである。
僕としてはこういう視点は売る側として当然持ち合わせているべきだと思うのだが、メディアを見る限り利点ばかりを口にして、導入する側が負担することになるリスクを全然表に出さない。
 
なんだこれは?
そういう商売なのか?
 
公正に物を売りたいのならしっかりとランニングコスト、デメリット、導入後の事業モデルにも言及するのが筋なんじゃなかろうか。
 
更に僕が疑問を感じるのは介護におけるロボットの導入である。
ロボットを導入したい人の意見としては、人手が少なく精神的、肉体的負担が大きい介護の業務をロボットを使うことで軽減できる、というのが一般的によく言われている。
しかしこれもいいことしか言わないロボット産業の体質である。
確かに介護の業務は精神的、肉体的負担を伴うものである。しかしなぜそれが精神的、肉体的負担になっているのか、その背景にある問題を十分に考えず、安易に、人手が足りないから、きついから、を理由に機械を導入してしまうのは非常に危険なことではないだろうか。
 
例えば愛玩用としてのロボットだ。

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アイボやファービーのような人の動きや声、命令に対して能動的に反応するロボットは認知症などの障害を持つ高齢者に一定の役割を果たす場合がある。
この手のロボットを認知症者に与えるとそれに気を取られて、徘徊などの問題行動をある程度抑えることができるのだ。
 
しかしこんなお手軽さにつられてロボットを導入するということは、認知症者との会話を通してコミュニケーションの手法を改善したり、徘徊などの問題行為をソファーに座らせておく以外の方法で解決する機会を完全に諦めてしまうことである。
また家族にとっては、自分の親や妻、夫との関わりを通して新たに生まれる関係を放棄してしまうことである。言い換えれば、家庭の厄介者という立場から抜け出す機会を高齢者から永遠に奪ってしまうのだ。
 
現実にはおもちゃを与えて体良くあしらっているにもかかわらず「コミュニケーションツール」などと言ってTVで紹介のされるのを見るとデストピアの到来を感じてしまう。

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僕は決してロボットの導入自体を否定したいわけではない。
どうしても解決できない部分にはロボットで対処することも有効であるとは思う。ただしそれにはメリット、デメリット双方の十分な検討が必須だと思うのだ。
 
例えば、介護の成り手が少ないのは、介護報酬が低かったり、勤務時間が不定期であるという職場環境の問題によるところが大きい。
また、家族介護が難しいのは、賃金の低下と共働き世帯の増加、残業、男女格差などの社会問題が強く影響している。
こんな問題が山積しているにも関わらず、ロボットを導入してハイ解決!というのは表面上、問題を見えなくしただけである。
 
ロボット導入の背後にこのような問題があることを、ロボット業界や政治家それを後押しするメディアが気づいていないとは僕は思わない。だからこそ極端にメリットだけを報じリスクを伏せる姿勢には疑問を抱かざるをえないのだ。
結局はロボットの商業的価値を餌にして民意を煽り、新たに利権を作り、政治家や専門家が努力を放棄し、責任逃れをする口実にしたいだけなんじゃないかと勘ぐってしまう。
技術革新は大いに結構だが、自分たちの仕事は責任をもって最後までやり遂げて頂きたいものだ。
 
少子高齢化と格差拡大により50年後の介護はお先真っ暗である。
そんな先の見えない状況で、責任を放棄する手段としてロボットが利用されつつあるのだ。
ステマ耐性の付いた現役ネット世代には無用のことかもしれないが、明るいニュースに踊らされて問題を見失う事態は避けたいものである。

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