あたまがいっぱい

猫舌と胃腸虚弱は遺伝のせいなのか

言論の自由とは何だったのか

日本のヘイトスピーチに始まり、フランスの風刺漫画の件など、言論の自由への言及が流行っているようだ。
せっかくなのでこの機会に言論の自由について振り返ってみたいと思う。
 

f:id:tetu-hk:20150121151356j:plain

 
ネットのニュースやブログ等を見る限り、どうやら世の中には無責任に言いたいことを言って誰かを傷つけても、言論の自由があるから、どんな発言でも認められると思っている人がいるらしい。
 
あまり褒められたことではないと思う。
 
これに対し、相手を傷つける発言はどんな内容であっても許されない、と言ったとする。
 
しかしこれは矛盾したアイディアだ。
 
どんなにもっともらし主張であっても「傷付いた!」と言われてしまったら口をつぐむか、徹底抗戦するしかなくなってしまう。
 
これでは誰も何も言えなくなってしまい、結果的に言論の自由は守られなくなってしまうのじゃないか?
 
ということは「相手を傷つける発言はどんな内容であっても許されない」という理屈は実は違うんじゃないかということになる。
 
もしかすると「表現の自由」とは、ある特定の思想やルールに基づいて発言することでのみ言論の自由は守られるという「条件付きの自由」なのかもしれない。
 
では具体な「条件」とは何であろうか?
 
ちょっと昔に戻って、言論の自由の認められない社会を想像してみたいと思う。
 
例えば江戸時代、政治に対して意見を述べることは厳しく禁じられていたそうだ。噂話をしただけで刑罰の対象になったという話も聞く。
大戦中においても特高などによって言論統制が行われていたそうだ。
 
 
このような歴史を見る限り、言論の自由とは、国民同士がお互いの意見を縛るという意味ではなく、国家が国民の意見を縛ることを禁止する法であると言える。
 
平たく言えば、国家権力が国民の自由を束縛することを防ぐ法として言論の自由があるのだ。
 
ヘイトスピーチもフランスの風刺漫画も、どうやら言論の自由とは言ってはいるが、その実は国家への言論統制に反対することではなく、国民同士がお互いの意見を否定する手段として用いられているようだ。
 
ここで言う言論の自由が、憲法に記されている言論の自由であるならば、憲法である以上国家権力を抑制する法であると解釈することが可能だ。
しかし困ったことに日本特有の「憲法解釈」という詭弁があるので、憲法の対象には国民も含まれるとの意見もあるのだ。
 
ちょっと考え過ぎな気もするが、言論の自由に言及して行くと遅かれ早かれ憲法解釈の問題に行き着く。もしかすると憲法改正に斬り込みたい人達が、今回の言論の自由問題を煽り立てているような気もする。
 
それはさておき、一般的な意味での言論の自由を言うのであれば、言論の自由の根本は権力が国民の言論を弾圧しないという意味であるので、個人間の意見に対しては適合されない、というのが僕の意見だ。
 
じゃあ言いたい放題、やりたい放題なのか?
 
実は日本においてはそうなのだ。
 
日本においては、障害者に対する差別を禁止する法律がある。また雇用に対しても差別が禁止されている。
しかし、言論に対して差別を禁止する法律は存在しないのだ。
もちろん名誉毀損ということで、相手の動きを間接的に封じることはできるが、言論の内容に対して、それが差別かどうかを精査するような法律は無いのである。
 
つまり、言ったもの勝ち、メディア権力最強状態なのだ。
 
テレビや新聞で事実無根のことでこき下ろされても、暴力で報復したが最後、傷害罪で記事告訴、人生終了である。
 
なんということだ。
マスコミはやりたい放題なのか?
 
じゃぁ政府にお願いしてマスコミを規制する法律を作ってもらおう。
いや、ダメだ。
政府は国民の言論を統制してはならないのだ。
 
2014年、国連の人種差別撤廃委員会の勧告の中で、日本政府に対して差別を禁止する法律を作るように要請が成された。
 
これまでの日本では、何を言っても許されてきた。
それはあくまでも国民が言っていいこといけないことの区別を自主的につけることができるという前提の基に成り立っている。
今回の勧告ではこの前提に国連からケチが付いたということだ。
 
誤解の無いように言っておくと、これは何でもかんでも規制すればいいと言う意味ではない。
あくまでも差別に対して規制をしろという意味である。
 
じゃぁ日本人に差別とそうでないものの区別が付けられるのか?


「表現者に対する弾圧」 ろくでなし子被告起訴で抗議:朝日新聞デジタル

こんなニュースを目にすると出来る気がしない。

 

そもそも日本人は規制に対して、差別がどうとかいう基準ではなく、人から見られて恥ずかしくないかどうかという基準で物事を見ている気がする。

 

「女性器のアートを展示するのは恥ずかしいからダメ!」

「外国人を大声で罵るのは恥ずかしくないからイイ!」

 

さすがサムライの国、恥の文化というやつだ。

 

正直僕には、このような日本の風土が良いものなのか悪いものなのかは分からない。

僕自身この風土の中で育ってきたからだ。

しかし現状を見るに民主主義の制度や、人権・言論の自由といった思想と反りがあっていないのは確かだと思う。