もてラジは脱権力ラジオだった?!
年末よりブログを始めて、もてラジのパーソナリティであるぶたお氏やてっちゃぎ氏の突っ込んだ主張を知ることができた。
また、聴き始めて3年にして過去放送を購入し現在聴き進めている最中である。
よりディープにもてラジの主張を知ることで、ついに今日、このラジオの核心に迫るに至ったのである。
脱権力
これこそもてラジの主張の核心である。
権力とは何か?
人間は性質として権力を求めているかのように見える。
小学校を思い出して欲しい。
子供は誰に言われるわけでもなく権力によるヒエラルキーを形成し、上下のある社会を形成する。
僕なんかはそういうのがバカらしくて相手にしたくなかったのだが、友達と楽しく遊ぶためには、否が応でも権力構造の中に入って行かざるを得ずとても苦痛だった記憶がある。
気づけば僕自身もアンチキモオタになったり、ファッションモンスターになったりとそのおかげで自分の了見を狭くしてしまい、結果として交友の幅を狭めていたのだ。
僕は人間は知識と備えさえあれば、権力の発生を抑えることができるし、権力にたよらずとも社会秩序を保てると考えている。
特に明確な根拠があるわけではないが、僕の両親の教育もあってか、こんなに権力に翻弄されていながらも未だに僕が権力嫌いでいられるわけだし、何よりラジオを通してもそんな人間が世の中にまだいることを知ることができたからだ。
思い返せば、小学校の頃の権力者は学校の先生だった。学校という子供にしては絶大な権力であって、その教師のリーダーシップによる自然な秩序の形成とは程遠いものであった。
また、子供の中の権力者であるクラスのリーダー的存在は例外なく運動部に所属し、暴力的で、支配的だった。その子供の親も金持ちだったり、DQNで支配的だったりと家庭環境からして権力志向が強かったのだ。
僕みたいな柔和で友愛と調和を重んじる天使のような子供には地獄のような環境である。
たしかに、今の世界は権力が支配する世の中だ。その中で勝ち上がるには子供の頃から権力を利用して生きる術を身につけ、権力を是として生きて行くのが適当なのかもしらん。
親だって子供の幸せを思えばそう教えたくなるのも分からないわけではない。
だが権力とは連鎖なのだ。
恐らくその発端は資源が社会の成員に十分に行き渡らない状況を人類が経験してきたからだろう。
飢えである。
食料が全員に行き渡らず、必ず飢えて死ぬ状況が出てきた場合、この状況を秩序をもって解決する方法が権力であったのだろう。
強い奴がおこぼれに預かる部下を従えて弱者から奪い取る仕組みだ。
生き残るためには強者になり、自分がされたのと同じように弱者を食いものにしなければならないのだ。
こうやって権力は連鎖していったのだろう。
現在の社会にも飢えは存在する。
生きるために必要な資糧を得ることができない人がいるのだ。
しかし大昔と違っていることが一つある。
それは現在人類の科学なら全員に行き渡る資糧を確保できることだ。
全員が命を保証されるだけの環境を手に入れれば、権力に頼る社会は必要無いのである。
しかし権力の構造に取り込まれている人はそうは思わないだろう。
サヨクだ理想主義だとレッテルを貼って権力構造を維持しようとするのだ。
権力を支持したいと願いながらも権力に取りいることのできない人々の代表がネトウヨである。
彼らは権力の食いものにされている底辺であるにも関わらず、権力でいい思いをした過去があるために権力を支持し続けるのだ。
ネトウヨだけではない。
自称左翼にも権力信奉者は大勢いる。
よく民主主義は人間の権利と自由を守っているような言い方がされるがそれは間違いだ。
民主主義はあくまでも権力の支配する社会において権力をコントロールする手段に過ぎないのだ。
民主主義を神のように崇めても永遠に権力から脱することはできない。
それは民主主義自体が権力を維持する機能を持っているからだ。
目指すべきはそんな小さいところではない。
権力の存在しない世界なのだ。
権力が秩序を守っている?
馬鹿言っちゃいけない。
世の中の争いの全ては権力を巡って行われるのだ。
もう全て捨てて楽になろうよ。
権力のなんていらない、権力が無ければ国家もいらない、必要なのは生きるために必要な資糧を生産し配分するインフラだけである。
歴史を振り返れば、ずいぶん人も死んだし十分がんばった、もうここらで休んでもよかないだろうか。