あたまがいっぱい

猫舌と胃腸虚弱は遺伝のせいなのか

金持ちの貧困が格差を助長する

安倍および自民党政権の行なってきた政策は、景気回復だのトリクルダウンだのと言ってはいるが、結局のところ富める者を富ませ貧乏人に負担を強いる政策であることに変わりはない。

 
力のある金持ちから支持を得た政権が金持ちが儲かる政策を行うのはリーガルマインドに著しく反するとしても、金と権力の力学から見れば至極当然のことである。
 
しかし金と権力では全てを説明したことにはならない。
 
金持ちの中にだって理性を持った人はいるし、貧乏人から搾取するのを嬉々としてやるようなサディストばかりではないはずだ。
 
支配階級の金持ちクソ野郎共だって人の子である。
無闇に他人の不幸を望む鬼畜人外ばかりではない。
 
何が金持ちを狂気へと走らせるのだろうか?
 
 
僕にも少なからず友人がいる。
 
金持ちボンボンの「N」(仮名)もその一人だ。
Nは業界1、2位を争う同族経営の企業の一族の一人なのだが、親が末っ子だったこともあり、完全に一族内の権力闘争からは弾かれて来たそうだ。
お家騒動に巻き込まれなかったというよりは、家庭から完全に弾かれて生きてきたのだ。
そんなNが親から与えられているのは食品用クレジットカードである。
 
N曰く「親から飼われている」そうだ。
 
今どうやって生活しているのか尋ねると、友人からのカンパだそうだ。
そんなにホイホイお金を施す人がいるとは思えないが、話を聞くにNの身の上を知って少なからず不憫に思った人が年間数十万のお金を与えているようだ。
 
ちなみにNはかれこれ10年以上、3つの大学を渡り歩いてる某一流大学の現役(?)学生である。
 
友人にはやんごとなき方々がいらっしゃるようで、想像ではあるがその程度の金は惜しくないのかもしれない。
 
とはいっても、一応お金を貰うにあたってはそれなりの理由が必要らしく、
今は”アイドル”として活動しているようだ。
 
Nは30代、アイドルとしてはかなり遅咲きである。
なかなか厳しいものがあるが、なにか面白いことをして楽しませてくれるから、その代わりとしてお小遣いをくれる、というシステムになっているそうだ。
 
バカな奴がたくさんいるなぁとは思うが、自分で稼ぐ手段を持たないNにとっては精一杯の行為なのだろう。
 
1年間で衣装に費やした金額は50万、その他、話しによればイベント代、作曲、ポスター、CD、カラオケetc...で100万近く、貰っているお金のほぼ全てをそういった活動に費やしているそうだ。
 
そんなわけでNの生活は非常に貧しい、いつもパンとかカップ麺を食べている。
家は間借りしたガレージ、夜は寝袋で寝る。
もちろん冷暖房は全く無い。
 
僕は一度、なぜ仕事をしないのかNに聞いたことがある。
Nはあまりこの手の話をしたがらない。
話をはぐらかしたり、理屈にならない理屈でごまかす。
ようやく聞き取れたことをまとめると「自分が一般人と同じように働こうとは思わないし、雇ってくれる場所もない」からだそうだ。
 
僕が「それは君が働かないんじゃなくて、能力的に働けないんじゃないの?」と言うと、それはどうやら違うらしい。
あくまでも能力はあるのだが、自分がその気になれないのと、そんな自分を雇う企業がないから就職しない、というのがNの理屈なようだ。
 
最近、そんなNに似た人物の噂をツイッターネットラジオでよく耳にする。
 

キス画像騒動に降参した岡田斗司夫に学ぶ秒速の言い訳術 | ネットラジオ BS@もてもてラジ袋

 

そう、岡田斗司夫だ。

 

岡田斗司夫の活動で特筆すべき点は、彼自身が商品であるという点だ。

岡田斗司夫と話せる権利、岡田斗司夫と彼女である権利、岡田斗司夫と一緒に入られる権利を金で売り、彼と関係性を持つこと自体を商品として売りさばいているのだ。

 

まさに”アイドル”である。

 
これは最も手っ取り早く、合理的な手法に見える。
 
大抵の人間は自分の存在価値と経済活動とは切り離して考える。
家族や恋人、友人との関係は、自分が幾ら稼いだかで計られるものではない。
だから自分がある人の家族や恋人や友人であることで、その人達からお金を貰ったりすることはない。
お金を貰うにあたっては、必ず労働を通して、市場によって価値のあると判断される事柄を行い、量と質に応じて報酬を得るのだ。
 
Nにしても岡田斗司夫にしても、そんな面倒なことはしない。
彼らが彼ら自身であることが市場価値を持ち、彼らが彼らであることでお金が支払われるのだ。
 
しかしここには大きな落とし穴がある。
 
それは、彼らの存在価値がお金になるという反面、彼らの存在価値はお金でしか測れないという点である。
 
友人Nは気遣ってくれる家族がいない。
ハイソサエティな友人達だって、結局のところ親の金とコネで入った大学でたまたま知り合った友人たちだ。ずっとお金を恵んでくれる保証なんてどこにもないし、あくまでお金を恵むのはNが面白いからだ。
恋人?年齢イコールである。
 
そんなNを見ていると、お金ではない人間関係を求めているにも関わらず、お金ではない人間関係以外を作る手段を知らないのではないかと思えてくる。
 
いや、むしろ逆で、お金でしか無い人間関係を作り続けることで、いつしかお金ではない人間関係に行き当たるという希望を持っているのかもしれない。
 
現実はぜんぜん違うと僕は思う。
 
最初は好奇心や同情心というお金ではない人間関係から始まった関係も、Nや岡田斗司夫がお金という形でしか関われないがために、次第にその関係はお金を中心としたものへ変わり、最後には商品価値を無くして人間関係は破綻するのだ。
 
僕はこういった金持ち特有の人間関係を、関係性の貧困だと考えている。
 
幼少期から、すべての価値を金銭へ変換することを覚えてしまった人間の末路だ。
彼らは本心では、金ではない友情や愛情を求めているのだろうが、それをお金という形でしか与えられなかったし、自分も友情や愛情の証としてお金を求めてきたのではなかろうか。
 
そうやって生まれたのは、極度に関係性を構築することのできない人間だ。
正確に言えば、お金でしか関係性を維持できない人間である。
 
 
冒頭に述べたように、金持ちやより金持ちに、貧乏にはより貧乏になるという狂気の連鎖が続いてる。
そんな中でも金持ちが金持ちであり続けようとするのは、この関係性の貧困が原因ではないのだろうか。
 
確かに、全ての金持ちがNや岡田斗司夫のように真の愛情に飢えているとは思わない。
しかし、彼らの人間関係は彼らがお金持ちであることによって維持されている事に疑問の余地は無いはずだ。
金持ちしか立ち入れないパーティーやブティック、レストラン、ホテル、企業、大学、そんな空間で作られる人間関係は全て彼らの富をベースに作られるのだ。
 
金持ちの友達になれるのは金持ちだけなのである。
 
富によって計られ決定される社会階層が関係性の貧困の入り口であり、格差の元凶なのだ。
 

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”ミダス王の触れたものは全て金へと変えられた”