インターステラーであたまがいっぱい
こんにちは、底辺ブロガーの早川です。
『インターステラー』、実はフューリーを見たのと同じ日に映画館で見ていた。
一日に2本も映画を見るなんて庶民にとっては極めて贅沢である。
普段はこんなことで来ないのだがそれには理由があって、吉祥寺の映画館「オデオン」では誕生日月がまるまる一ヶ月1100円で見られ、更に同伴者も一人までなら1100円になるというサービスがあるのだ。
パトレイバーが来たり、不審物が設置されたりと忙しい吉祥であるが、
私、この町が好きです。♫メッセぇぇ~ジー。(松任谷由実)
さて今週のもてラジでも『インターステラー』が話題に上がっていたようだ。
てっちゃん版のインターステラーでは主人公と前立腺刺激のプロとガロン塚本とQバードの記録保持者の精鋭チームが未知の惑星に送り込まれるわけだが、実際の映画でも唯一の見せ場が土左衛門になる何にしに来たのか分からない奴や、自己管理のできない黒人や、七光りで乗り込んで大ポカをやらかし実は男のために来ていたということを後になってカミングアウトする自称科学のミゼラブルなど…実戦ならガロン塚本の方が間違いなく役に立つだろう。
言い得て妙といったところだ。
この映画には大きく分けて5タイプの人間が登場する。
①NASAの親玉の博士・・・生存をあきらめている人
②マット・デイモン・・・他人を犠牲にしても生き残ろうとする人
③主人公・・・どんな時も諦めない不屈の冒険者
④主人公の息子・・・足元しか見えない現状維持の田舎者
⑤ミゼラブル女・・・LOVEに生きる人
文字通り5次元の世界である。
①、②が死んで③が④を助けて⑤が何となく生き残るというストーリーはどんな時にも希望をも持って諦めず困難に立ち向かう理想のヒーロー像を形にしたようなものだ。
広い宇宙に人類の存在のより処となるのが、ジョン・ウェイン張りのフロンティア精神というのは典型的でありながらも相変わらずスカッとさせられる。
更に突っ込めば、実質的に地球に残された人類を救ったのは主人公のメッセージを受け取って希望を持ち続けた主人公の娘というのも意味深い。主人公はあくまでメッセンジャーなのだ。
日頃からチマチマと底辺ブログを書き続け、ツイッターでは嫌ごとを撒き散らすクソリプ野郎でも、その不屈の精神を少しでも世に伝えることに意味はあるんだと…希望を与えてくれるのではないだろうか。
まぁその他良かった点としては、ジョン・リスゴーはいつ認知症になるのがハラハラさせられるし、マット・デイモンはエージェントボーンの不屈の精神と自己中を併せ持った最強キャラだし、ゼログラビティー感を出すために存在するアン・ハサウェイはアン・ハサウェイだし、黒人は死ぬし、黒人は死ぬしで、大抵の人がアメリカ映画に求めるお祭り感もしっかり保持している点だ。
そういうのも含めて是非一度は見て頂きたい作品である。