語りえぬものについては、ブログを書かねばならない
宗教の話ということで色々な話題が出てきたところではあるが、どうも何か言い足りない感がある。
もちろん勉強不足であることは否めないのだが、それにも増して、宗教を語ると言っておきながら”宗教とはなんぞや”ばかり語ってしまっていたようだ。
とは言っても、僕自身何か名のある宗教団体に加盟しているわけではないので、体系化されて耳障りの良い宗教論を持ち合わせているわけではない。
結局のところ、自分の宗教観というのはどっかの本の引用だったり、他人の主張に口を挟んだりして、自分の考えの外縁をなぞることでしか語り得ないのかもしれない。
というわけで聖書を読んでみよう。
折にも
映画『エクソダス:神と王』
の公開が迫っているようなのでこれみよがしによんでみんとてすなり。
ギリシャ語では「出て行くこと」という意味らしい、まんまかよ。
3千年以上中二的な使い方をされ続けたせいで期待値が大きくなり過ぎている感がある。
聖書をめくって先ず出エジプト記の場所を確認、さっそく驚いた。
旧約聖書の創世記の次、前から二番目と意外と前の方にある。
僕は家庭の事情で幼少期から聖書を読まされてきたのだが、ほとんど拾い読みだったので、どの章がどこにあるのかあまり意識していなかったようだ。
そして第一章の書き出し…
「さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの・・・」
ええ?これって続きもんなのか?!
そうなのだ、出エジプト記は創世記の続編なのである。
あぁ知ってるこういう商売…
もう引っかからないと誓ったのにまさかここで仕掛けてくるとは、さすがユダヤ人と言わざるをえない。
早々とファラオ登場、ユダヤ人の男の子はぶっ殺せとさっそくのの残虐ぶりである。冒頭でざっくり世界観を説明するテンポの良さは今の映画にも通じるものがあって好印象だ。
生まれる前からモーセは大ピンチなのだが女性達の大活躍で無事にモーセは誕生する。
真っ先に女性の活躍を描くあたりがマーケティングしっかりしてんなぁ、と感心させられる。「歴史を影で支えた女性の活躍」とか大河ドラマの売り文句が陳腐に聞こえるから不思議だ。
そのあとは大胆な時間省略、すくすくと育って大きくなって、ユダヤ人をボコしてたエジプト人をぶっ殺して逃亡、逃げた先でリア充を披露し、え?もう子供できちゃうの?さすが英雄、着床力も半端ないピクル並である。
そうやって文字通り牧歌的な生活を送るモーセだが、神様からお呼びがかかる。
男は30超えてから、子供が生まれて落ち着いてから事を始めるべきだよね。まだ僕にも時間がある、ゆっくり自分のペースで生きていこう!
勇気をもらう設定だ。
神が言う「モーセよ、モーセよ」「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコ…」
自己紹介長いわ!!でも親切だよね、神は愛なりである。
自己紹介の後は奇跡を起こし、まんまと信じ込んだモーセは家族を連れてエジプトに向かう。
何十年も家を開けるインターステラーとは大違いである。見習え。
神の杖や割礼もちゃっかり登場した後はモーセの右腕アロンの登場だ!
イカした主人公がイカした右腕を引き連れているのはグリーン・ホーネットでブルース・リーが証明した通りである。というか普通に考えていきなりモーセが来ても「お前誰?」となるのは目に見えているのでアロンの存在は重要なのだ。
ユダヤ人を自由にしろと言うばかりか、ちゃっかり自治までも提案しているあたりが策士である。子供の頃は気づかなかった。神の奇跡をチラつかせてファラオを脅すが、まぁそんなんじゃファラオも落ちんわな。
火に油でファラオは更にユダヤ人をこき使う、まさにブラック企業である。
いやマジで、ファラオは自分ではやらせず、ユダヤ人の代表にいいつけてやらせるのだ。苦労に音を上げた代表達はファラオに直談判するのだが、そこでファラオが言うセリフがどこかで聞いたことがある。
「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ(大事なこry)、それだから、『行って主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定められた数のれんがを納めなければならない」※(煉瓦作りには藁が必須)
号泣である。
聖書を読み『エクソダス:神と王』を見るべきだ!!
はたしてモーセはブラック企業を倒し、格差社会を是正し、人々を約束の地に導くことが出来るのか!?
これはあなた達の物語だ!!
*1:※「これは僕のパンだって!」図