底辺ブロガーは考えるな!感じろ!
”好き”が創作活動の中心にあるべきだと語られている。
好きであることが人に動画を作らせる。
好きでもないのに、例えば金のためにやるのであればいずれ挫折し、死体となって転がるというのだ。
そんなこと言われると、僕ははたしてブログが好きなのか…?と、
なかなか不安になってくるものだ。
「ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き、ブログが好き」×100
はい、これで僕はブログが好きになりました。
「覚悟完了!!」
そう簡単に行くもんではない。
そもそも好きってなんだろうか。
先ほどの僕のように自分に言い聞かせて好きだということにしてしまう人もいるだろう。
石の上にも三年、ブログの上にも五年である。
嫌な仕事だって五年もやればなんとなく好きになってくるものかもしれない。
これは単なる自己洗脳で本当は好きじゃないという指摘もあるだろう。
その通りだ。
皆がやっているから、僕もやっている。
そういう人もいるだろう。
僕だってもてラジが存在していなかったらブログなんてやっていなかもしれない。
もてラジが好きだからブログをやっていて、ブログなんて本当は好きじゃないという指摘もあるかもしれない。
どっちか分からないけどそうかもしれない。
じゃぁ理想的な”好き”とは何だろう。
己の内から沸き上がる無限のイメージ!アイディア!!
自分を抑えられない衝動に駆られ、食べることも寝ることも忘れ、ただひたすら、一途に、純粋に…
とてもロマンチックではあるが、こんな奴と一緒に仕事をすると体が持たないのは間違いない。一部の天才が勝手にやっていればいい。そしてお願いだからほんとに巻き込まないで欲しい。僕は胃腸が弱いのだ。
こうやって見てみると、好きという状態を説明するのは一筋縄ではいかない。
恐らくそれは”好き”という状態が単一の心理現象ではなく、複数の事象の集合であるからではないのかと思う。
つまり、僕がこのブログが好きなのは、ビジネスチャンスが欲しいからであり、ブログを好きになれと自分に言い聞かせているからであり、僕が文章を書くのが好きだからであり、もてラジというネット上の繋がりが欲しいからであり、そして泉のように湧き出る文章の才があるからなのだ。
それぞれの要素は決定的にその活動が好きである要因ではないが、そんな小さな”好き”の集合が積み重なって人間の行動を決定付けているのだと思う。
だから僕は言いたい。
金であろうが、欲であろうが、見栄であろうが、人肌恋しさであろうが、下心であろうが、感情のはけ口であろうが、不純であろうが、純粋であろうが…
好な理由はたくさんあって当たり前なのだ、むしろ多ければ多いほど豊かで楽しいはずだ。
それを一つだけ要素を抜き出して全体を好きか嫌いかなんて語るのは不可能である。
よく言われることがある
「ねぇ、あなた私のどこが好きなの?」
「君はなぜ弊社を志望したのかね?」
「あなたはなんでこんなプランを立てたの?」
理由をすべて書き出し、順位をつけ、その関連性を合理的に説明しろ。
こういう考え方が今の世の中当たり前になってすぎやしないか?
そんなコマゴマしたことは商売で、マーケティングで、セコセコと重箱の隅をついて利益を出したい時にでもやっていればよいのだ。
好きなことを単純に好きとも言えないこんな世の中、POISON♪である。
おれは全部好きだから好きなんだよ!と胸を張って答えよう。
確実に、間違いなく、絶対に正しい真理がある。
女の子に「私のどこが好き?」と聞かれて「まゆげ」とか「鼻の穴の形」とか単一のパーツを褒める奴は絶対にモテない!!