あたまがいっぱい

猫舌と胃腸虚弱は遺伝のせいなのか

君が来るまで考え過ぎることを辞めないッ!

f:id:tetu-hk:20150113130021j:plain

昔からよく「考え過ぎだよ〜」と言われて来た。

まさかもてラジでも言われる事になろうとは思ってもいなかった。
ある意味僕の人となりが文章を通して滲み出ているということだ。
恐るべき文才である。
 
兎も角そうい言われるたびに僕は
「フッ、この愚民どもめ…せいぜい惰眠を貪るが良い、天土(あまつち)の終わるその時には我が勝利するのじゃ」と…。
 
そうやって大人になってしまった。
 
いや嘘だ、正確には僕が考え過ぎないことを実践するととんでもない自体になるのだ。
分かりやすく言うと、新たな知的障害者が一人誕生するのだ。
 
考え過ぎる奴ってのは200人に一人ぐらいの確立で必ずいる。
だいたい1学年に一人ぐらいの割合である。
 
そして皆指を指してこう言うのだ。
「あいつは勉強のし過ぎで頭がおかしくなったんだよ」と…
 
「ならば見るが良い…我が知性を捨てた真の姿を…!!」
「や、やめろ!そんなことをしたら人ではなくなってしまう!!」
「ダメなんだ…もう遅いんだよ…」
こうして多くの仲間が連れ去られて行った(病院に)。
 
そう、だから僕達は常に考えるしかないんだ!寝てしまったら…寝てしまったら奴らに思考を奪われ、乗っ取られてしまうんだ!ぎゃぁぁああやめくぁwせdrf
 
つまり僕達は愚民がするように惰眠を貪るわけにはいかないのである。
 
何も考えず、ほぇ〜っと気楽に生きていくのは僕にはあまりにも難しい。
常に思考を言語化してブツブツとホームの片隅で虚空に呟いているのがお似合いなのだ。いや、お似合いなんだからっ!
 
いや真面目な話、こういう考え過ぎ人間は文系に多いと思う。
考え過ぎにに見えるのは思考の言語化が一般的な人に比べて多いからそう見えるにすぎないのである。
なぜ思考の言語化が必要なのか?
それは抽象的思考能力が非常に低いからだ。
簡単に言えば暗算ができないのだ。
暗算ができないと書くと「あっ」(察し)となるのだが、そこまで脳みそが残念と言うわけではない。暗算はできる。
あくまでも相対的にちょっと残念なだけだ。
 
百マス計算とかが人並みにできる人間には理解し難いだろうが、自分の考えを抽象化するためにはより多く言語化が必要なのだ。
 
だからそういう人を見かけたら、考え過ぎだの、統合失調症だの、ボチクリ変態野郎だの言わないで欲しい。
そういう言い方は本当の統合失調症やボチクリ変態野郎に大変失礼だし、差別、偏見、ヘイトスピーチである。ちょっとユニークなだけだ。
こう書きつつも、統合失調症とボチクリ変態野郎を併記することによって生じてしまう差別的なニアンスをどうやって払拭しようかということに心を騒がせているのだ。
 
実際に会ってみたら分かると思うが、現実の僕はボチクリもしないし、精神病でもない。
むしろ良識人の爽やかナイスガイである。もちろんボチクリだったり精神病の人にも爽やかナイスガイはいるだろう。
 
ここまで書くと恐らく多くの人はジェイミー・オリバー的な人物を想像するだろうが、それも正確に僕を記述したとは言えない。
実際僕はジェイミー・オリバーを尊敬しているし、その辺りのポジションを狙っているし、話し方をちょっと真似してしまった時期もあるが、実際の僕はジェイミー・オリバーよりももう少し感情に起伏がなく、淡白で、卑屈で、発想力も低く、ブサイクである。
f:id:tetu-hk:20150113122352j:plain
じゃあそれをどうやって確認するのか?
 
もてラジ開催する(かもしれない)東京でのイベントに参加するのだ!
きっと僕も大勢の人ごみに紛れてそこにいるだろう。
お願い、もてラジ!!